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東京高等裁判所 昭和45年(う)397号 判決 1973年3月26日

控訴人 被告人

被告人 小林仁 外一名

弁護人 藤本時義 外一九名

検察官 松本卓矣 植村英満

主文

原判決中の被告人両名に関する部分を破棄する。

被告人小林仁を懲役一年六月に、

被告人松井靖久を懲役一年八月に処する。

原審における未決勾留日数中、被告人小林につき二四〇日、被告人松井につき二〇〇日を右の各本刑に算入する。

被告人両名に対し、いずれも本裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用のうち、証人樋口良樹に支給した分の全部およびその余の証人(但し、証人有松喜一郎、同斉藤定治、同土屋忠夫、同橋口敬太、同布谷定道、同川島一洋、同田中昭、同阿部長雄、同馬籠英夫を除く)に支給した分の九分の一ならびに当審における訴訟費用のうち、証人樋口良樹に支給した分の全部および証人横山陽三、同三上仁一(但し、昭和四六年四月二日支給の分を除く)に支給した分の二分の一を被告人小林の負担とし、

原審における訴訟費用のうち、証人土屋忠夫に支給した分の全部およびその余の証人(但し、証人有松喜一郎、同斉藤定治、同樋口良樹、同橋口敬太、同布谷定道、同川島一洋、同田中昭、同阿部長雄、同馬籠英夫を除く)に支給した分の九分の一ならびに当審における訴訟費用のうち、証人土屋忠夫に支給した分の全部および証人横山陽三、同三上仁一(但し、昭和四六年四月二日支給の分を除く)に支給した分の二分の一を被告人松井の負担とする。

理由

本件各控訴の理由は、被告人小林本人および同人の弁護人藤本時義ならびに被告人松井の弁護人庄司宏外一八名連名作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は東京高等検察庁検察官検事松本卓矣作成名義の答弁書中被告人両名関係部分に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

被告人小林仁関係

弁護人藤本時義の控訴趣意第一点について。

所論は、(一)原裁判所は被告人弁護人欠席のまま審理判決したもので、憲法三一条三二条三七条に違反する、(二)原裁判所は被告人の出頭拒否に対して刑事訴訟法二八六条の二を適用して審理したが、(イ)右規定は憲法三一条三二条三七条に違反する、(ロ)仮に右の規定が合憲であるとしても、原審の右規定の適用は憲法三一条三二条三七条に違反するから、原判決は破棄を免れないと主張する。

憲法は、司法の作用として、裁判所の裁判により国民に対し刑罰を科することを容認するとともに、国民の基本的人権として、その裁判が法律の定める手続に従い適正かつ迅速に行われることを保障している。特に刑事訴追を受けた被告人は防禦の機会を与えられ、自ら弁護する権利がある。刑事訴訟法は、これを具体的に実現するため、裁判所は公判期日を被告人に通知して召喚し(二七三条二七四条)、被告人は、軽微な事件など特定の場合を除いては、公判期日に出頭しなければならず(二八四条二八五条)、被告人が出頭しないときは開廷することができないし(二八六条)、出頭した被告人は在廷しなければならない(二八八条)と規定し、また、被告人の利益を擁護するために、一定の条件のもとに弁護人の選任(二七二条三〇条三六条三七条二九〇条)や公判期日に弁護人の出頭を必要としている(二八九条)。してみれば公判に出頭することは、被告人の権利であるが、同時に特定の場合を除き義務でもあるといわなければならない。したがつて、勾留中の被告人は、公判期日を通知され召喚されれば、出頭する義務があり、これにそむいて、被告人が出頭しなければ開廷することができない場合に正当な理由がなく出頭を拒否し監獄官吏による引致を著しく困難にしたときでも、公判を開くことができず裁判の遅延や阻止をもたらす結果を認めなければならないというが如きことはいかにも不条理である。したがつて、このような事態を防止するために、刑事訴訟法二八六条の二は、被告人の出頭がなくても開廷し公判手続を行うことができるものと定めたのである。同条にいう「正当な理由」とは病気等の障害を意味し、訴訟手続に関し裁判所がとつた措置に不服であるなどということは、出頭拒否の正当な理由にあたらないことは明らかである。されば、この規定が適用された結果、被告人自身弁護し防禦する機会を失うこととなつても、それは自らが招いたところであつて、被告人は憲法が保障する被告人の権利を自分で放棄したことに外ならないというべきである。

憲法三七条一項にいう公平な裁判所の裁判とは、組織と構成において不公平のおそれのない裁判所の裁判を意味し、裁判所が被告人側の併合請求をいれないで審判したとしても、憲法の右条項に反するものでないことは、最高裁判所昭和二三年五月五日大法廷判決、刑集二巻五号四四七頁等屡次の判例の趣旨とするところであり、また憲法三一条三七条三項は、すべての事件に弁護人の関与を要求するものではなく、いかなる被告事件を必要的弁護事件とするかは専ら刑事訴訟法により決められるものであることは、最高裁判所昭和二五年二月一日大法廷判決、刑集四巻二号一〇〇頁等の判例であるから、必要的弁護事件に当らない事件で、被告人が弁護人を選任しており、その弁護人において裁判長の訴訟指揮に従わないで退廷を命ぜられたり、公判に出頭しないために弁護人不出頭のまま審理されたからといつて、憲法の右各条項に反するものではない。

以上述べたことから、刑事訴訟法二八六条の二の規定が憲法三一条三二条三七条に反しないことは自ら明らかであり、したがつてまた、原審が被告人弁護人の出頭しない公判において審理判決した手続ももとより憲法の右規定に違反するものではない。

更に、記録によれば、被告人は勾留中の原審第一回ないし第七回の各公判期日に、いわゆる統一公判を要求していずれも出頭を拒否し監獄官吏による引致を著しく困難にさせたために、原審は刑事訴訟法二八六条の二に従い開廷審理し、また、被告人は保釈釈放後の原審第八回公判期日に出頭せず、不出頭を許可されて審理され、結局原裁判所は全公判を通じて検察官のみ出席して被告人弁護人不出頭のまま審理を終つているけれども、これをもつて原審の措置に違法不当の点があるといえないことはすでに述べたところから明らかである。なお、被告人は、原審第一回公判直前に昭和四四年六月二六日付の出廷拒否理由書を提出して自己の意思を表明しており、原審は、被告人に対し同年七月四日付書面で第一回公判の審理経過を知らせて検察官の甲号証拠目録等記載の証拠調請求に関し意見を徴し、更に同年一〇月一日付書面で第五回公判において検察官請求の乙号証拠目録記載の証拠調がなされたことを知らせ、同年一一月一日付通知書をもつて同月五日の第八回公判で審理を終了する予定であるから最終陳述の機会として出頭して意見を述べるように告げてまでしているのである。されば、このような措置の要否は別としても、所論が原審は刑事訴訟法二八六条の二の適用を誤つていると主張する論旨は、すでにその前提において採用できない。

論旨はいずれも理由がない。

同第二点について。

所論は、要するに、被告人はいわゆる統一公判を要求して公判期日に出頭することを拒否したもので、統一公判であれば出頭する筈であつて、原審が分離公判を強行したのは不当であるから、原審が被告人は正当の理由がなく公判期日に出頭しなかつたとして刑事訴訟法二八六条の二を適用したのは、同条の解釈適用を誤つたものであり、また、原審は刑事訴訟法三一三条一項の解釈適用をも誤つていると主張する。

しかし、どの程度に事件を併合して審理裁判するかは、法律の定める要件に従い、かつ人的物的な要素をも勘案して、受訴裁判所が合理的に判断して決定すべきものである。訴訟関係人はたとい自己の併合請求がいれられず不服があるとしても、裁判所の措置に従つて防禦を尽すのが当然であつて、自己の要求する形態以外の審理裁判には絶対に応じないというが如きことは、結局は裁判の拒否に外ならず、司法制度を否定し、これを破壊するものであつて、このようなことが、公判期日に出頭することを拒否する正当な理由とならないことは、既に述べたとおりである。そして、本件につき記録を調査し当審における事実取調の結果を加えて検討しても、被告人らの併合請求に関して原審がとつた措置が合理性を欠き健全な裁量の範囲を逸脱したものと認めるに足る資料は何ら存在せず、所論が主張するような統一公判を相当とする特別の事情を認めることはできない。それ故に原審の訴訟手続に所論のような法令違反はなく、論旨はいずれも理由がない。

同第三点について。

所論は、(一)原判決は判示第二として不退去罪を認定しているが、被告人ら全共闘に対する加藤代行の退去命令は不当であるから、被告人の行為は違法性を欠く、(二)被告人の不退去罪が成立しない以上、機動隊の排除行為は違法であつて、これに抵抗した被告人の行為は公務執行妨害罪を構成しない、(三)被告人の原判示各所為は、その動機目的の正当性、手段方法の相当性および法益の均衡からして超法規的に違法性を阻却し犯罪を構成しないから、原判決が被告人の本件行為を有罪と認めたのは事実を誤認したものであると主張する。

しかし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、同判示の各事実を認定することができ、記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、所論指摘の諸点につき原判決の認定に誤りがあることを発見できない。論旨は理由がない。

被告人本人の控訴趣意一ないし三について。

所論は、原判決の事実認定および審理手続を非難するものであつて、いうところは、要するに、弁護人の控訴趣意第一点ないし第三点と同趣旨に帰着すると解せられる。したがつて、その採用し難いことは既に述べたところから明らかである。なお、記録を調査し当審における事実取調の結果を加えて検討しても、原審の訴訟手続に予断排除の原則に反し、起訴状一本主義に違背する疑いがあるとまで認めるに足る資料は存在しない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第四点および被告人の控訴趣意四について。

所論は、いずれも量刑不当の主張である。そこで、記録を調査し当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、本件の事実関係はすべて原判決が認定判示するとおりであると認められ、被告人は昭和四四年一月一七日頃から同月一九日午後三時過までの間、多数の学生らとともに東京大学講堂(通称安田講堂)を占拠して、これを排除しようとする警察官らに対し右の多数人と共同して投石したり殴打する等の暴行を加える目的をもつて、石、コンクリート塊、鉄パイプ、角材、火炎瓶等を準備して集合し、同講堂管理者の退去要求に応ぜず、被告人らの排除検挙に従事中の警察官に対して多数の石、コンクリート塊、火炎瓶等を投げる等の暴行を加えて、その職務の執行を妨害したものであり、原判決が量刑事情として説示するところは、当裁判所も概ねこれを支持することができる。本件は組織的集団的な暴力手段によつて国の枢要な教育施設に莫大な損害を与え、学園の荒廃を招いて社会人心に著しい衝撃を及ぼしたのであり、事柄は重大である。被告人は、当時慶応義塾大学経済学部に在学し、反代々木系の中核派に所属して要請に応じて本件犯行に加担したもので、第一審においては、あくまでも統一公判を要求し出廷拒否する等して裁判長の訴訟指揮に従わず闘争的態度を維持していて、犯罪後の情況にも遺憾な点がみられ、このような本件各犯罪の性質、態様、犯罪後の情状等に徴すれば、被告人の責任が極めて重いことは当然であつて、原判決が被告人に対し懲役一年八月の実刑を科したことをもつて、量刑が一概に重いということはできない。しかしながら、当審に至り、被告人は従来の態度を改め、平静かつ誠実に審理を受け、十分反省もして自己の犯行につき責任を負うべきことを自覚するに至つていると認められ、殊に被告人はこれまで何らの前歴もなく、年令も若く大学卒業を希望して勉学に励んでおり、今後は穏健な市民生活を営み再度本件のような法秩序を無視した行動に出ることはないものと考えられる。被告人に対しては、この際はむしろ刑の執行を猶予して自戒にまつのが相当である。原判決の量刑は結局重きに失し、論旨は理由がある。原判決はこの点において破棄を免れない。

被告人三栖こと松井靖久関係

弁護人庄司宏らの控訴趣意一および二について。

所論は、原判決が被告人に関する証拠として掲げる証拠からは被告人の犯罪事実を認定することができないから、原判決には判決に理由を付さない違法があり、また事実を誤認していると主張する。

しかし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、同判示事実はすべてこれを認定することができ、記録を調査してもこれに疑問を差し挾むべき証拠は何ら存在せず、また当審における事実取調の結果を加えて検討しても、原判決のこの認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、原判決には何ら所論のような誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。

同三について

所論(一)は、(1)刑事訴訟法二八六条の二は憲法三一条三二条三七条に違反する無効の規定である、(2) 仮に違憲でないとしても、原裁判所が刑事訴訟法二八六条の二、三四一条を適用して行つた裁判は憲法三一条三七条各項に違反するから、原審の手続は憲法の右各規定に違反すると主張し、所論(二)は、原審の公判手続は(1)刑事訴訟規則一八七条の三、同条の四(所論中に一八三条の三、一七八条の三および四とあるのは誤記と認められる。)に違反し、(2) 被告人側の統一公判要求を予断をもつてしりぞけたのは、正当な理由の存否に関する判断を欠いているから、刑事訴訟法二八六条の二に違反すると主張する。

しかし、所論(一)の理由がないことは、既に前記被告人小林の弁護人の控訴趣意第一点において述べたとおりである。次に、所論(二)について考えると、記録によれば、被告人は勾留中の原審第一回、第二回および第四回の各公判期日にいずれも統一公判を要求して出頭を拒否したのであるが、原審は右の各公判廷において、東京拘置所長作成名義の報告書等を取り調べ、被告人が正当な理由がなく出頭を拒否し監獄官吏による引致を著しく困難にしたものと認めて、刑事訴訟法二八六条の二を適用して公判手続を行う旨告知していることが明らかである。出頭を拒否したり、裁判長の訴訟指揮に従わないで秩序維持のため退廷を命ぜられた弁護人や被告人が、現実には右決定を知ることができず、これに対し異議を申し立てる機会がなかつたからといつて、もとよりその決定が違法となるものではない。所論(1) は理由がなく、所論(2) の採用し難いことも前記被告人小林の弁護人の論旨第二点において述べたとおりである。論旨はいずれも理由がない。

同四以下について。

所論は量刑不当の主張である。そこで、記録を調査し当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、本件の事実関係は原判決が認定判示するとおりであると認められ、原判決が量刑事情として説示するところは当裁判所も概ねこれを是認することができる。本件各犯罪の性質、態様および原審における被告人の態度等に関しては前記共同被告人について述べたことが被告人にもそのまま妥当する。なお、被告人は当時立正大学経済学部に在学し(現在は除籍されている。)本件前に二回不起訴処分を受けたことがあり、更に原判決後の昭和四五年一一月に同大学の紛争に関連して検挙され、昭和四七年三月二五日東京地方裁判所において暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役一年執行猶予三年に処せられたこと(被告人控訴中)を併せ考えれば、被告人の責任はまことに重いといわなければならず、原判決が被告人に対し懲役一年八月の実刑を科したことをもつて、量刑が必ずしも重いということはできない。しかしながら、当審において、被告人は従来の態度を改め、平静かつ真摯に審理を受け、十分反省もして自己の行為が犯罪として責任を問われるべきものであることを自覚するに至つており、そのうえ未だ年令も若く、結婚もしており、今後は穏健で平和な市民生活を営み、再度本件のような法秩序を無視した過激な行動に出ることはまずないものと考えられるので、被告人に対しては、いま直ちに実刑をもつて臨むより、この際はむしろ刑の執行を猶予するのが相当というべく、原判決の量刑は結局重きに失し、論旨は理由があることに帰する。原判決はこの点において破棄を免れない。

それで、刑事訴訟法三九七条三八一条により原判決中の被告人両名に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、更に自ら次のように判決をする。

原判決が確定した事実に対する法令の適用は、原判決摘示のとおりである(罰金等臨時措置法については刑法六条一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前の法律による。)から、これを引用し、その処断刑期の範囲内において、被告人小林を懲役一年六月に、同松井を懲役一年八月に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中、被告人小林につき二四〇日、同松井につき二〇〇日を夫々の本刑に算入し、既に述べた理由により刑法二五条一項一号を適用して被告人両名に対しいずれも本裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文第五項記載のとおり被告人両名に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 江碕太郎 判事 龍岡資久 判事 桑田連平)

弁護人藤本時美の控訴趣意書

第一点原判決は、憲法三一・三二・三七条に違反する。

一、原審東京地方裁判所は、被告人並に弁護人欠席のままで審理をし且判決宣告をした。

いわゆる「欠席裁判」による「欠席判決」といわれるものである。

しかし、それは欠席「裁判」ではなく、又欠席「判決」でもない。近代における民主国家においては、裁判とは、関係当事者を関与させ、その利益追行を反映させて審理する手続が前提となつている。

ことに、国民を処罰する刑事裁判においては、被告人の言分を十分聴取し、その利益を防禦する機会を与えることは不可欠である(最高判昭和37・11・28集16巻11号一五九三頁参照)。

同じ裁判でも、民事裁判においては、国民の私的な経済的利益に関する紛争の解決が問題になるのであるから、その私的自治にまかせて差支へなく、裁判における利益追行の権利の放棄を認めても弊害はない。

しかし、国家が国民を処罰する刑事裁判においては、強制的に国民の生命・自由・名誉・財産を奪うものであるから、国民の弁解・防禦の機会を奪うことは、如何なる理由があつても許されず、又国民にその権利(弁解・防禦の利益)の放棄を認めることも許容されない。ことに、国家権力に反抗する内容の犯罪については、国家権力の被告人に対する憎悪が強いから、特に然りである。

それ故にこそ、裁判所は、憲法上、司法権の独立を保障され、政治権力の圧迫から守られているのであり、人権保障の最後のとりでとされているのである。

刑事訴訟法も、憲法の右基本的原則を受けて、人権の保障を目的としてかかげ、当事者主義的訴訟構造を採つている。

従つて、被告人を勾留しておきながら、その欠席のままで裁判をすることは、如何なる理由があろうとも許されない。

しかるに原判決は、被告人欠席のまま行われた審理に基いてなされたものであつて、被告人の裁判を受ける権利を実質的に否定するものである。

それは、国民に裁判を受ける権利を保障した憲法三二条に違反する。

又被告人の言分を充分聴取せず、防禦権を実質的に制限したままで被告人を処罰するものであつて、適法手続を国民に保障した憲法三一条に違反する(註解日本国憲法上巻五八八~五九〇頁)。

二、原審裁判所は、被告人の出頭拒否に対し、刑事訴訟法二八六条の二を適用して、被告人欠席のまま審理を行つた。

右規定は、昭和二八年に裁判の便宜のために、国民の権利を制限する一連の改正・例えば勾留理由開示請求権の制限(同法八四条二項)、権利保釈の除外事由の拡大(同法八八・八九条)、保釈・勾留の執行停止の取消事由の拡大(同法九六条一項)および検察官の緊急収監権の新設(同法九八条二項)、供述拒否権の制限(同法一九八条二項)、起訴前の勾留期間の延長(同法二〇八条の二)等の諸規定の改正と同時になされた後ろ向きのものである(団藤「刑事訴訟法の一部を改正する法律、批判と解説」法律時報二五巻九号、熊倉武「刑事訴訟法の改正と労働組合運動」労働法律旬報一三八号)。それは、被告人の権利、利益の保障よりも、審理の合理化、迅速化に傾斜した改悪である。

右規定は、被告人が正当の理由に基いて出頭を拒否し監獄官吏による引致を著しく困難にしたときであつても、裁判所が被告人の不出頭に正当な理由がないと判断すれば、一開廷のみではなく、全審理期間に亘り、更に判決宣告日に至るまで、被告人不出頭のままで手続を行うことが出来る旨を定めている。

これは、前述のとおり、被告人よりその弁解・防禦の機会を実質的に奪うものであるから、右規定は、憲法三二条、三一条に違反する。

又、一方の当事者である検察官の言分のみをきいて、裁判することを許容するものであつて、公平な裁判所の裁判を受ける権利を保障する憲法三七条に違反する。

三、法律の規定は、憲法の精神と調和するように制限的に解すべきであるとする見解(最高判昭和44・4・2集23巻5号、三〇五頁以下)に従つて、刑訴法二八六条二項を合憲と解するとしても、原判決の右規定の適用は憲法三一・三二・三七条に違反する。

1 右規定の形式的・機械的・全面的適用が許されないことは、前述のとおりである。

右規定がその中に含まれる刑事訴訟法は、刑事々件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつゝ、事案の直相を明らかにし、刑罰法令を適正且迅速に適用実現することを目的としている(同法一条)。従つて、右規定の解釈適用も、右目的に適合することを要することは当然である。

刑事訴訟法は、当事者主義的訴訟構造を採つている。それは、被告人の権利・利益を擁護すると共に、当事者双方の攻撃防禦によつてこそ、事案の真相が分明になるという歴史的な経験に基くものである。

その方式こそ、被告人の人権の保障を全うしつゝ、事案の真相を明らかにするという刑事訴訟法の目的にふさわしいものである。

従つて、右規定の解釈適用に当つては、憲法、並に刑事訴訟法の基本原理にそうように留意しなければならない。

徒らに、審理の合理化・迅速化をのみ追求して、被告人から弁解防禦の機会を奪い、事案の真相も明らかとならないまゝに終るようなことがあつてはならない。

そうでないと刑事訴訟法の自己否定になるからである。

2 右規定は、「伝家の宝刀」ともいうべきものであるから、「いきなりごり押し的に強行」したり、「安易に採用」してはならない。「被告人の出廷を数回の期日にわたつて待ち、統一公判要求について法廷で論議する機会を二回以上与へ、弁護団・保釈中の被告人らの言い分にも十分耳を傾け、さらには獄中の被告人らに対し、召喚状にそえた手紙などで出廷を勧告し説得するなど、可能なかぎりの手当を尽す」べきであり、その手続の運用に当つても、「(1) 当該公判期日に実施する手続の限度・証拠調の対象となる証人・証拠書類について、いうなればダイレクトメール方式によつてあらかじめ被告人にその内容を知悉させる、(2) 常に立会と反対尋問の機会を与えることは勿論、証拠を被告人らの批判にさらして防禦を行なえるよう、その都度証拠調について意見を求める。(3) 期日において実施する審理もあらかじめ定められた手続、つまり予告篇どおりにする。(4) おこなわれた審理手続を通知する。(5) 証人尋問に際しては裁判所が後見的な立場から、限度はあるにせよ反対尋問的、補充尋問をおこなう、(6) 法三二六条二項の擬制同意の適用についても慎重に配慮する、(7) 実況見分調書など証拠書類の作成の真正の立証についても、形式に流れぬよう厳格におこなうなど、刑事訴訟の基調とする当事者主義弁論主義をなお貫徹せんとして、まるで被告人が対席して訴訟を進行すると同様の」配慮をなすべきである(「 」内は、磯辺衛「東大事件の審理概観」ジユリスト四三八号五四-五五頁)。

右の程度の配慮は、必要最小限度のものであつて、決して「過保護」ではない。

しかるに、原判決は、第一回公判からいきなり右規定をごり押し的に強要し、前記のような配慮を全く行わず、被告人欠席のまゝ裁判を強行した(原審公判調書、なお日弁連発行、昭和四四年一二月号自由と正義、編集委員会「『東大裁判』を見る目」、三六~四〇頁、渥美克彦「荒れる法廷」判例時報五五九号一八頁、東京新聞、毎日新聞昭和四四年七月一日付夕刊参照)。

この様に原判決は、右規定を誤つて適用した結果、憲法三一、三二、三七条にそれぞれ違反する。

(その余の控訴趣意は省略する。)

弁護人庄司宏外一八名の控訴趣意

三、原判決には刑訴第三七九条の訴訟手続に法令違反のある場合に該当する。

(一) 被告人、弁護士が全く出廷しない法廷での裁判は、憲法に違反した裁判である。

(1)  刑訴法二八六条ノ二は、違憲の法律である。

原裁判所は、公判期日に召喚を受けながら正当な理由なくして出廷を拒否し、監獄官吏による引致をいちじるしく困難にしたものと認め」(一七〇丁等)刑事訴訟法第二八六条ノ二により被告人欠席のまま審理を続けて来た。

しかし、刑訴法第二八六条ノ二の規定は、左の理由により違憲であるから、原裁判所の手続は違憲であり、刑訴第三七九条の控訴理由に該当する。

(イ) 本条項が憲法第三一条第三二条第三七条に違反する理由、

今さら言うまでもないが、日本国憲法は、その前文で主権は、国民に存することを宣言し、国政は、国民の信託によるものであること、これは人類普遍の原理であり、この憲法がかかる原理に基くものであることを宣言している。この基本精神を条文に定着させているのが憲法第二条以下の規定である。そしてこれら各条項は、憲法前文で宣言された基本精神によつて解釈され適用されねばならないのは当然である。もとより、基本的人権といえども無制限のものではない。

憲法は、国民に対して、この自由及び権利は、常に、公共の福祉のために利用する責任を負うものであると宣明している。しかし、同時にこれら自由や権利の制限について憲法第一三条は、「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定している。

(ロ) 刑訴法第二八六条ノ二は、憲法第三二条の「何人も裁判所の裁判を受ける権利」及び、第三七条刑事被告人の「公平な裁判所の公開裁判を受ける権利」を真向から制限するものであることは、論をまたない。

ところで同条項が、国民の重要な基本的権利の一を制限する法的根拠は、一体どこにあるだろうか。

わが憲法が基本的人権の制約原理として認めている唯一のものは、「公共の福祉」であり基本的人権の制限については、国民自からの自制(特別権力関係下にあることも含め)の外は、「公共の福祉」による制限以外は有り得ないはずである。拘置されている被告人といえども拘置に基く人権の制限を別としてその他の人権については、一般市民と区別されるところはない。しからば、刑訴法第二八六条ノ二が規制する「勾留されている被告が、公判期日に召喚を受け、正当な理由なく出廷を拒否する」ことが「公共の福祉」に反するものであろうか。

(ハ) そもそもわが憲法の言う「公共の福祉」による国民各人の人権制約を認める根拠は何か。

「公共の福祉」とは何か。

それは、畢竟人民間の人権衝突の調整人民全体の人権の保障の確保という要請から生じたものであろう。「公共の福祉」による各人の人権の制約の問題がすぐれて起るのは、「国民全体の奉仕者」人民からの「国政の受託者」たる政体と人民との間であつたことがこれを物語る。

(ニ) このような「公共福祉」原理による、

人権の制約が裁判所における裁判の場で、容易に認められるであろうか。裁判所は、憲法の保障した人権を確保する最后の制度的担保である。そして、裁判所の人権保障の仕方は、行政権の能動的、裁量的なものと異つて厳密に憲法及び法律を適用することによつて行われる。しかも法律の適用に当つては、個々の法律の合憲性さえも審査されるのであり、法の厳密に合憲な、適用こそ、裁判所の生命である。裁判所は、人権の保障に関して、超法規的制約原理や行政手段上の理由なぞの援用は許されるべきはない。ところで拘留されている一人の被告人が召喚を受けながら何らかの理由で出廷を拒否したとして、これが他の人民のどんな権利と衝突するのだろうか。俗にいえば「損するのは、自分だけ」であろう。

第一どこかに逃げてしまつている被告人に対しては、欠席裁判は認めないで「拘留」されている被告人にのみその不出頭に対して、裁判を受ける権利を剥奪するのは、いかなる理由によるのであろうか。これがもし、「法の権威」とか「裁判所の威信」を守るために認められるとしたら、本末の転倒である。

(ホ) 憲法は、「公共の福祉」による人権の制限を認めているが、「法の権威」とか「裁判所の威信」による人権の制限を認める条項はない。

もし「裁判の威信」、「権威」が法治国における「法の厳格、適正な適用」という意味で言われるなら、これと「公共の福祉」とがつながらぬでもないが、これも結局するに人権の保障のためである。裁判所対一被告人の裁判の場では、被告人の人権保障のためであると考えられる「裁判所の威信」も結局は、人権保障の制度的保障たる裁判所の使命から考えられるべきであつて「裁判の威信」が、抽象的に存在するのではない。そうであるならば、抽象的な「法の権威」「裁判所の威信」なる概念で憲法の保障する基本的人権を制約することが許されるべきではないであろう。

(ヘ) 憲法は第三一条で刑事事件の被告人に対する処罰には、適正の手続を保障し、第三二条第三七条ですべての人民に対し公平な裁判所の迅速な公開裁判を保障する。これは、要するに、公平な裁判を保障するものであり、これこそ裁判所の最高の使命である。被告人の出頭を必要とする裁判で、被告人の欠席のまま審理を進める場合、現在のいちじるしく当事者主義的構造をもつ刑事裁判で、「公平な裁判」を期待することができるであろうか。かかる観点から見ても、刑訴二六八条ノ二の規定は、違憲と断ぜざるを得ない。

(2)  仮に刑訴二八六条ノ二自体が違憲の法律ではないとしても原裁判所が同条項及び三四一条を適用して行つた裁判は、左の理由によつて憲法第三一条、第三七条各項に違反する。

刑訴第二八六条ノ二は、右に該当する場合は、被告人が公判期日に出頭しなくても、その期日の公判手続を行うことができると規定するものである。また刑訴三四一条は判決手続のみに関する。原裁判所の如く被告人・弁護人とも全公判期日不出頭である場合に本条によつて公判手続を行い判決することが出来ることまでも定めたものでないとするのが厳密な解釈であり、この解釈は、逃亡中の被告人について被告人欠席のまま、裁判手続を行うことを許す条文のないことからも支持されよう。しかるに原裁判所は、被告人弁護人欠席のまま、公判における手続を行つて来たことは、公判記録上明らかである。

このような同法の適用は、現訴訟構造の下で被告人及び弁護人が不在の法廷で裁判が行われる場合、被告人の防禦権は全く行使され得ない結果となる。この点から観ても被告人・弁護人が欠席のまま公判期日の全手続が行われた原裁判の手続は、違憲である。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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